大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和63年(行ツ)191号 判決

奈良市あやめ池南二丁目一番二六号

上告人

木奥明子

右訴訟代理人弁護士

大深忠延

吉田恒俊

中村悟

奈良市登大路町八一番地

被上告人

奈良税務署長

石原正信

右当事者間の大阪高等裁判所昭和六二年(行コ)第三号贈与税決定処分等取消請求事件について、同裁判所が昭和六三年九月二七日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人大深忠延、同吉田恒俊、同中村悟の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断及び措置は、原判決挙示の証拠関係及び記録に現れた本件訴訟の経過に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 角田禮次郎 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一)

(昭和六三年(行ツ)第一九一号 上告人 木奥明子)

上告人代理人大深忠延、同吉田恒俊、同中村悟の上告理由

第一点

原判決は贈与に関する経験則を含む法令の解釈適用を誤つた違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。

一 芳彦に対する贈与公正証書との対比において

1 原判決は、上告人が控訴審で主張した論点を十分考慮せず、結局第一審判決とほとんど同じ理由で控訴を棄却してしまつた。

しかし、亡木奥芳弘の上告人に対する公正証書に示された贈与は、その記載文言は生前贈与なれども、他の諸事情を考慮すれば、実際上は不成立であるか、または心裡留保で無効のものであるか、少なくとも死因贈与と判断すべきものである。

2 一件記録によつて明らかなとおり、亡芳弘は後妻である上告人と先妻との長男芳彦との対立に心をくだいていた。そのため芳弘は自分に万一のことがあつた場合を考えて、本件公正証書(乙第二号証)を作成した。

ところで、芳弘は以前にも芳彦に対して別の不動産について、やはり贈与の公正証書を作成している(甲第二二号証)。両公正証書の内容は対象物件が異なるのは当然として、その余はほとんど同一である。芳弘の意思を判断するに当たつては、両公正証書を合わせ考慮すべきであることは言をまたない。

3 そこで芳彦への贈与について検討するに、芳彦は真に贈与を受けた、と考えていたであろうか、否、である。このことは、芳彦が相続税の申告に当たつて、自己の所有でなく芳彦の遺産として申告していることから明白である(甲第二号証)。すなわち贈与物件として公正証書に記載のある奈良市芝新屋町一七番の宅地、同市西新屋町三番地壱、同市芝新屋町一七番地の家屋(家屋番号一六、一五、一四の三筆)については、税務申告書の記載と公正証書の記載とはぴつたり一致している。その後、税務署は公正証書の存在にもとづいて右贈与物件は遺産に含まないとして、減額更正処分をなし、芳彦はこれを認めたが、当初の申告時点で芳彦に単独所有の意思のなかつたことは明らかである。このことは芳彦に受贈契約の意思がなかつたことを示すものであり、芳弘の芳彦に対する前記贈与公正証書は、右物件の贈与を証明するものではない、ということを示している。公正証書の作成は昭和三八年二月であり、当時芳彦はすでに二三才であり、かかる重大な贈与の事実を忘れることは考えられない。芳彦も同席して作成された右公正証書は受贈者に受贈の意思がない点で本件と全く同一である。

4 これを法的に主張すれば、形式上は贈与契約書が作成されているが、当事者の意思の合致がなく、贈与契約は成立していない、ということである。仮に然らずとするも芳弘には贈与の意思がなかつたのであつて、そのことは芳彦も知つており、表意者の真意を知つていた心裡留保(民法第九三条但書)によつて無効である。仮に然らずとも生前贈与ではなく、死因贈与である。

5 芳弘に芳彦への贈与の意思がなかつたことは、以後固定資産税および火災保険料は芳弘において支払い(甲第一号証の三)、毎年の税務申告においても自己の所有として申告している(甲第一号証の五)。

かかる状況は上告人の受けたとされる贈与物件についても全く同様である。

なお上告人も生前贈与を受けたという意思はなかつたことは芳彦と同様である。

二 贈与が成立しない(または心裡留保、死因贈与)諸事情について

1 公正証書は私文書に比べ強い証拠力を有するが、それでも判例において公正証書が作成された当時の被相続人家の家庭状況や経済状況の背景を詳細に摘示して、贈与が存在しないとしたものがある(甲第三一号証)。

2 原判決は第一審判決と同様本件不動産が生前贈与であるとする根拠を一二点列挙している。しかし、これらはいずれも生前贈与の理由にならないか、事実を黙認するものである。以下詳述するが原判決は上告人の原審における主張に対して何ら説得力ある理由を示していない。すなわち、

(一) まず、原判決も乙第二号証の公正証書の形式的記載をもつて生前贈与の根拠の一つとしている。しかし、今、問題としているのはかかる形式的記載のある公正証書について、実質課税の原則からその合理性を判断することにあり、原判決は問題をもつて解答とする自家撞着に陥つている。本件紛争の争点は、形式上生前贈与とする公正証書はあるが、その表示とは別にその贈与が真実か否かというところにあるからである。この点は、国税庁、最高裁調査官を歴任した桜井四郎税理士も実質課税の原則にてらして判断すべしとしているが当然のことである(甲第一六号証)。

(二) 次に、原判決は、公正証書の作成経過について芳弘が専門家に相談したこと、上告人に閲覧させて署名させたことを挙げる。しかし、芳弘が専門家に相談したとしても、上告人は何ら相談に預かつておらず、この点は生前贈与を裏付ける理由とはなりえない。また。初めて公証役場に行つた上告人が閲覧させられたからといつて公正証書の内容を十分理解しないまま署名したとしても不自然ではない。従つてこの点も生前贈与の根拠とはならない。

(三) 原判決が三点目に挙げる事由は、死因贈与の根拠とはなりえても生前贈与の根拠とはなりえない。また、原判決が一審判決からあえて削除したところの、芳弘が「自分が死んだ場合には法務局に行つて登記の手続きをしたらよいと語つていた」こと、「贈与の有無や本件不動産の所有権の帰属等については、とくに他に控訴人に述べたことはないこと」はいずれも事実であり、このことは死因贈与または心裡留保を肯定すべき事由である。

(四) 上告人は昭和五一年九月一二日の遺産分割の交渉において、生前贈与と主張したことはない。この点、第一審判決は別件における木奥芳彦の本人尋問調書(乙第七三号証)をもつて一方的な認定をしている。しかも「生前贈与」という誘導尋問に対する芳彦の「ありました」という一言でもつてかかる認定をしており(一一四項)、その根拠は薄弱である。かえつて上告人は前記別件の訴訟においては本件の土地は「芳弘が生きている間は、芳弘のものだと考えていたと述べ」ていたがこのことは、右別件の判決理由において指摘されているところである(甲第三三号証の一、終わりから五枚目表(カ))。

(五) 訴訟救助の審尋問調書(乙第七四号証)の記載には問題がある。すなわち「生前贈与」というのは法律用語であるところ、上告人の言つたことは「生前に贈与の約束をした」ということであつて、法律的な意味で生前贈与を受けた、ということではない。さらに、登記について「私が先に死ぬか、夫が先に死ぬか分からないので、そのままにしておいた」という上告人の陳述によれば、そもそも贈与契約は不成立と解せざるをえない。

原判決は一審裁判所と同様尋問調書の一部分だけを採用し、他の有力な証拠を見落とすという誤りを犯している。

(六) 原判決の六点目の事由は生前贈与の根拠ともなりうるが、死因贈与または心裡留保の根拠ともなるうるものである。生前贈与か死因贈与か(または心裡留保か)の判断を求められている本件において、生前贈与と考えて「不自然とはいえない」などという判断は失当である。列挙する事実は贈与の不成立、または死因贈与ないし心裡留保と考えても不自然ではない。

(七) 第七点目も、六点目と同様、贈与の不成立または死因贈与ないし心裡留保の根拠ともなりうる。かえつて履行を確保するためには第三者に対抗するため登記も上告人名義にしておかねばならないところ、芳弘は最後まで登記手続はしなかつた。このことは贈与の不成立か死因贈与または心裡留保を推認させるものである。芳弘の意図は芳彦と上告人との対立を避けることにあり、そのためには贈与税の高い生前贈与よりも、みせかけの公正証書か死因贈与の方がよく、かつそれで十分だつたのである。

(八) 第八点目も第七点目について述べた批判がそのままあてはまる。原判決は「右意図を実現するについて、贈与ではなく死因贈与によらなければならない理由はない」とする。しかし挙示する事由は「死因贈与ではなく贈与によらなければならない理由はない」とも言えるのであつて、贈与の不成立ないし死因贈与や心裡留保でなく生前贈与である、とする根拠とはなりえない。

(九) 芳弘と芳彦の公正証書の存在は、本件が生前贈与でないことの根拠とはなりえても、生前贈与であることの根拠とはなりえない。原判決はこの点で理由に不備ないし齟齬がある。芳彦を含む相続人が右公正証書における対象不動産をも遺産として申告したことからすれば、税務署長が右不動産をも含めて相続税を課税することに何ら問題はない。このことは申告納税制度の原則からも当然である。しかるに、税務当局は芳彦から上告人との遺産争いを聞いて、一方的に芳彦に有利になるよう相続税の減額更正を行つたものであり、かかる不当な処分をもつて、生前贈与の根拠とすることはできない。裁判所は税務署の処分に拘泥する必要はなく独自に判断すべきである。

(十) 贈与税のことは芳弘も考慮したと思われる。だからこそ本件公正証書は芳弘に万一の時、上告人が芳彦に見せるためだけに作成したそもそも契約として不成立のものあるいは心裡留保で無効のものといえるものである。このことは、芳彦に対して公正証書で贈与した不動産について、贈与税の消滅時効が完成した後も、芳彦に登記を移転していないことからも推認される。芳弘は税理士とはいつも相談しえたのであり、芳彦に対する公正証書の不動産については五年後の昭和四二年一二月五日以降はいつ登記を移転しても贈与税がかからぬことを知つていた筈である。しかるに、それをしなかつたことは、芳弘は真に芳彦に不動産を贈与する意思はなく、ただ上告人と芳彦との争いを避けることのみを考えていたからと推認しうるのである。前述のように、芳彦も贈与を受けたと思つておらず、相続税を納めている。

もし、芳弘が贈与税を免れるために、上告人に対し公正証書を作成して登記をしなかつたとすれば、かかる違法な動機による贈与は無効であり、そもそも贈与がなかつたことになる。

(一一) 顧問税理士に相談していたことも、生前贈与を根拠づけるというよりも、死因贈与または心裡留保を基礎づけるものである。また、本件公正証書作成に当つて楳生税理士に相談した、という証拠はない。

(一二) 原判決認定による本件公正証書が芳弘にとつて近い死を予期して作成されたものでないというのは事実であろう。この点は芳彦に対する公正証書も同様である。だからといつて本件が生前贈与だということにはならない。芳弘にとつて芳彦と上告人のどちらも大切な存在であり、二人には自分が万一の時も最小限の財産を残しておこうと考えた。その意味から言えば生前贈与とする必然性は全くないのであつて、死んだ時争いのないようにするためだけの実質的には不成立の贈与、または死因贈与または心裡留保による無効のもの(みけかけだけ)と解する方が自然である。

3 以上の主張に加えて、上告人は原判決が上告人の主張に沿うものとして指摘する左記七点の事由を改めて主張するものである。

(一) 上告人は木奥商店の代表取締役をしていた芳弘の後妻で、芳弘には先妻との間に芳彦、弘子、喜美子、喜代子の四子がいたが、芳弘は昭和五一年六月六日に死亡したこと、

(二) 本件不動産については本件公正証書に基づく上告人への所有権移転登記はなされておらず、上告人が芳弘の遺産として相続税の申告をしたこと、

(三) 芳弘は、本件公正証書の作成後に提出した昭和四八ないし五〇年の各所得税の確定申告書に、本件不動産を自己の所有の不動産として申告していること、

(四) 芳弘は、同様に、本件不動産のうち、建物について火災保険契約の当事者となり、その保険料を支払つていたこと、

(五) 芳弘は、本件公正証書作成後も本件不動産に居住していたこと、

(六) 芳弘は、本件土地がもと芳彦の所有であつたことから、芳彦に対し、本件不動産と芳弘所有の他の土地との交換について芳彦と相談した際に、交換の理由として、自分が死んだら、後妻の明子に本件不動産を遺産としてやりたいと述べたこと、

(七) 本件公正証書の作成の目的が、芳弘が上告人と芳彦夫婦との仲がよくないことを慮つて、上告人に本件不動産を遺そうとすることのみにあるのであれば、芳弘は、その生前にこれを上告人に贈与しなくても、死因贈与で事足りること、

(八) さらに、加えて、上告人は本件不動産について、「引渡し」は受けていないことを強く主張する。公正証書の文言に「引渡し」とあるのみで、現実に、なんらの引渡しも、それに近い行為も何もなかつた。

第二点

原判決は前記第一、二項の如き事実関係を認めながら、かえつて逆の結論に到達しており、民事訴訟法第三九五条一項六号に該当する理由不備または理由齟齬がある。

第三点

原判決は、前述の事実関係の下で、本件公正証書の解釈を誤つており、これは判決に影響を及ぼすこと明らかな経験則ないし採証法則の適用の誤りがある。

第四点

原判決は上告人申請の鑑定を却下した点において判決に影響を及ぼすこと明らかな審理不尽がある。

以上

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